文化の力

今回の震災では、チャリティーや寄付活動に参加する方が多かった。また、それにより被災地やその他の地域の方々も励まされたと聞いた。文化や芸術、スポーツの力を改めて知った。


文化庁長官近藤氏は、文化や芸術ができることは大きく二つあるという*1
一つは、「チャリティ公演の開催」。これまでも、音楽やスポーツを通して日本をはじめ世界でチャリティー活動が行われた。義援金を募ることが主目的となるが、被災者たちに対する関心や共感を惹き、新たな行動を引き起こすきっかけ作りにもなりうると思う。
もう一つは、「アーティストによる心のケア」。実際に被災地を訪ね、人々を励ますことだ。阪神大震災の際も被災者に喜ばれるなどの効果があった。僕らはお金や言葉で被災者たちを支援しようとするが、音楽や演劇などのアートによる支援の方が、コミュニケーションツールとしては、適しているのかもしれない。なお、文化庁としても、補正予算にて心のケアのための芸術活動の予算を確保する意向だという。


今回分かったのは、地震などの災害においてはお金や地位も役に立たない事があるということ。
いくらお金があっても、物資不足や買占め、停電に立ち向かうことはできなかった。買う物がなければ紙幣はただの紙だった。被災地ではなおさらだろう。災害時では貨幣経済は成り立たず、「物々交換」あるいはより原始的な経済活動である「強盗*2」になることがあるかもしれない。また、いくら地位があっても同じ話だろう。むしろ、今回の震災では地位ある人の不手際や非能力が目立ち、救助や非常時対応の足かせとなった。


それにしても、文化や芸術のもつ力は大きい。カズ*3を始めスポーツ選手のプレーや歌手、俳優のメッセージに励まされた方は多い。しかしそれだけではない。多くの学生や一般市民も貢献しているらしいのだ。避難所では、例えば、落語が上手な学生が落語を披露したり、絵が上手な人が子どもに似顔絵を描いたり、音楽が上手な人が吹奏楽で演奏をしたりしているらしい。


文化や芸術は、ともすれば、経済的に成り立たなければ存続していかない。しかし、本当は人々の記憶や心底にずっと生きているはずであり、それらがもたらすパワーは大きい。今回の震災を通して、その大きさを改めて知った。もっと大切にしていきたいものだ。


かつて、何人かの友人がしきりに「勝ち組」の話をしていた。「俺は勝ち組だ」とか「あの人は負け組だ」といった類の話だ。確かに豊かな生活をしていく上でお金は必要かもしれない。しかし、本当に目指すべきなのは”価値”組だ。存在価値が高い人、例えば芸を持っていたり人にエネルギーを与えたり手を差し伸べたりすることができる人たちだ。それらは必ずしもお金にならなくたっていい。

*1:日本経済新聞(夕刊)16頁 夕刊文化面 文化庁長官近藤誠一氏インタビュー記事参照。

*2:暴言、暴行、拘束、威嚇、恐怖、破壊活動などを提供する見返りとして利益を得るという、極めて原始的な商業取引の一つでもあると考えることができる。

*3:三浦和良。サッカー選手。J2横浜FC所属。