初めての選挙

初めて選挙に行った。

前回の”郵政選挙”は、友人とアメリカ旅行に行っていたため行けなかった。当時は自民党が圧勝する勢いだったため、僕の1票では結果が変わらないと思い、期日前投票にも行かなかった。今回は、社会人としてちゃんと投票に行こうと思った。
選挙権があるのは、僕が日本国籍だからだ。中国籍なら、日本では選挙権がないし中国では選挙すらない。せっかくの権利だから、行使しようと思った。


投票はあっという間に終わった。ほんの小さな意思表示にすぎず、果たして明るい未来につながるのか分からないけれど、自分なりに考えて根拠(場合によっては感情も含む)をもって決めることが大切ではないかと思った。もちろん自民党が政権を取るのと民主党が政権を取るのとでは将来の日本になんらかの違いがあるのかもしれないが、それは僕には予想できない。だから、自分なりに基準を設けて、それをもとに判断して投票した。人それぞれ基準が違うのだから仕方ない。過去をもとに判断する人もいれば、未来を見据えて判断する人もいるし。だから、根拠をもって決めればそれでいいと思う。


民主主義というのは、要は、多数決だ。実にシンプルな意思決定法だ。しかし、デメリットもあると思う。例えば、マイノリティの意見が反映されにくい。社会を変えるには、金か権力か数が必要だが、ほとんどのマイノリティはそれらがマジョリティより劣っているといえるだろう。もう一つ、外交政策等の国際問題においては感情的・強硬的になりやすいことだ。以下の記事が参考になる。

「民主主義を広げれば世界は平和になる」という説が冷戦終了後、「反共」に変わる米国のイデオロギーとなり、「中東民主化」はイラク戦争大義となった。だがそれは正しいのか。

ガザ攻撃に関するイスラエル世論調査(1月9日公表)では、94%が攻撃を支持し、「ハマスがロケット発射を停止する場合、停戦すべきか」との問に対しても80%が「停戦すべきでない」と答えた。イスラエル連立政権は2月10日に総選挙が迫り、右派の野党リクードの優勢が伝えられるなかで攻撃を決定。ガザ住民1315人(うち子ども417人)を殺し、5300人以上を負傷させたが、これにより人気を挽回したようだ。

一方、2006年1月のパレスチナの選挙では、イスラエルの存在を認めない強硬派のハマスが圧勝してガザを支配、イスラエルがこれに対し圧迫を加えたことが今回の惨劇の原因だ。双方で有権者が強硬路線を支持すれば戦争は不可避で、停戦も一時的でしかない。強硬論は大衆の感情に訴えるし、妥協論に比べて論理が単純でわかりやすいから、民主制では強硬論が優勢になりがちなのだ。米国でもイラク戦争開始直後には、戦争支持が73%、不支持は24%だった。集団闘争は人類の本能の一つだから、戦争になれば国民心理は支持に偏るのだ。

国内問題では、利害の対立や賛否両論がある政策を、討論の末に多数決で決めるのは、ときに間違うとしても、無難な方法であって、民主制が他の政体よりマシであることは疑いない。だが国際問題、特に他国との対立の場合、当事国双方がそれぞれの国内で多数決で方針を決めれば、強硬派の「けしからん。やっつけろ」との声が強く反映されがちで、民主制は「自動戦争装置」になりかねない。


田岡俊次著『民主主義=平和か?強硬論に傾く世論で自動戦争装置になる民主制の好転リスク』(田岡俊次の特ダネ記者魂/週刊アエラ09.02.02号)

幸運なことに、日本の場合は(中東などと異なり)主に争点となるのは内政問題だから、民主主義が”自動戦争装置”となるリスクはなさそうだ。