心と頭の体操、もとい、初めての結婚披露宴とプチ同窓会

友人の結婚披露宴に招待され、銀座の美味しいレストランで楽しい一時を過ごしてきた。


友人は年上の女性で、学生時代にNGOで活動していたときに出会った。ともに活動した期間は1年もなかったが、僕の刺々しい主張をしっかり聞き入れ、アドバイスをしてくれたことには感謝している。当時、彼女には長らく付き合っていた同学年の恋人がいて、仲睦まじい姿を僕らはよく後ろから見ていた。僕らは、彼女らはいづれ結婚するだろうと思っていたが、神様は違う道を2人に用意した。


当の披露宴は、その当時の恋人も出席されて、銀座のレストランで開催された。くだけ過ぎず、畏まら過ぎず、終始和やかな雰囲気の中で進められた。この披露宴では当時NGOで一緒に活動していた友人とも再会し、思い出話や近況の報告もし合った。友人らは披露宴などには何度か参加されているようで、飽き飽きしていたようにも感じられたが、僕にとっては新鮮なことばかりで、心躍るひとときだった。特に、新婦の笑顔いっぱおいで幸せそうな表情を見るにつけ、過去の思い出も重なり、涙が出そうになった。幸せな人の近くにいると自分も幸せになるのかもしれない。女性として生きていくのは大変なこともあろうが(もちろん男性も同じだろう)、こういったイベントを思いっきり楽しんだり、綺麗なドレスを着れる楽しみというのは、やはり女性にしかできない特権のような気がする。


やがて披露宴が終わり、プチ同窓会がはじまった。


僕は、久しぶりに会ったなほにしきりに「女になりたい、女になりたい」と言った。なほは、その突拍子もない言葉にも「そうか、そうか」と慰めるように僕の思いを受け止めてくれた。その姿は、4年前のなほと変わっていなかったように思う。当時僕は、組織運営に不満があったこともあり、あるいは、精神的に不安や不満があったこともあり、がみがみ文句を言っていた。そんなときに優しく話を聞き、僕の気持ちをくみ取ってくれたのがなほだった。なほは今茶道を習っている教えてくれた。きっとなほも素敵なお嫁さんのなるのだろう。なほの花嫁姿もみたいなぁと思った。


今日は他にも、コイケさんやなおあき、ようこらにも再会した。僕らは自分の意志でNGOの活動を始め、こうして出会ったわけだが、大学卒業などを契機に別れてからはしばらく音信が不通になったりした。だけど、こうして再会すると、無沙汰だった時間がなかったようにまたたわいのないを話や真剣な議論ができるのだ。薄くもあり深くもあり、短くもあり長くもある関係は、今後も続いていくのだろう。人との関係性は、必ずしも言葉によって表すことができるものではない。


プチ同窓会では本当にたくさんの話をした。例えば、鉄道が好きな人(「乗り鉄」と自称していた)は、鉄道に乗ることの楽しさ、今まで見た美しい景色、石巻線に乗った話、四国を周った話などを話してくれた。それも2時間はあっただろうか。僕もバックパックしていて、なんだか同じことを感じるなあと思って聞いていた。周りの人はやや飽きれていたけれど。


それから、マレーシア赴任から日本に戻ったのちに仕事を辞めた友人は、原発の話だったり、マイノリティの話だったり、セクシュアリティの話だったり、語学学習のことだったり、将来何をしたいかといったことを話してくれた。政治を動かすのはなんだろうね、という話になり、「経済合理性」なのか「思想」なのか、という議論になり、日本は今前者で動いているよね、だから欧州のように、「脱原発」にすぐ方針転換できないんだろうという話になった。


そして、僕らはNGOで外国人問題に携わってきたり、中にはセクシャルマイノリティに携わりたいという人がいるわけだが、こういったマイノリティを支援する活動は実を結ぶのかと考えてみると、震災や原発被害が甚大な状況でもポリティカルアパシーが続くようでは、何も変わらないだろうね、という話になった。僕はそのことを以前から思っていたのだが、偶然にも友人がそれを言葉にしてくれて、僕はすこし驚いた。


他にもいろいろな話をしたのだが、新しい視点や考察に富んだことが多くて楽しかった。暑くて意識が朦朧としがちな日に刺激的な体験ができた。今の日本について語る機会がなかなかなかったけれど、偶然にも海外での生活を経験している人が集まったおかげで、いろいろな談義や討議が実現できた。


このような友人をを大切にしたいなぁと思いつつ、あと何年もしたらもう日本にはいないだろうなぁとも思いながら、みんなと別れた。さて、次は北京で?