一歩及ばず、悔しさと期待をもって、次に向かう。
中国語検定の合否通知が届いた。2級にあと3点届かなかったようだ。今回の筆記は難しかったようで、基準点は60点だった。悔しいけれど、また次だな。
これまで両親には、中国語をうまく話せないことや漢字の読み書きができないことでダメ出しをされてきた。日本に連れてきたのは両親であるし、幼い頃から日本に長く住めば中国語の会話能力も読み書き能力も低下していくものだが、そういったことへの思慮はなかった。あるいは、ないと感じてきた。僕は自分が責められる理由を理解できなかったし、それを他に求めることもできなかった。逃げ場がなかった。
しかし、最近になって両親の葛藤も少しずつ分かるようになってきた。両親は積極的に日本語で連絡してくれるようになり、中国語を決して忘れてはならないだの、時間がある限り勉強しろだのと言わなくなった。肯定されること、認められることが、次の一歩を踏み出すエネルギーとなる。また、相手を肯定する、認めるという行為を生み出し、やがてはその”車輪”となる。長い対立や葛藤の期間を経てやっとお互いを認め合うようになった。だから僕は中検に挑戦しようと思った。そして今、結果を悔しく思い、次こそはと期待しているのだ。それは自分のためでもあり、両親のためでもあるのだ。