オープンな議論を生む土壌
日曜日の夕方に放送される、スタンフォード白熱授業がとてもおもしろい。アイデアの出し方をテーマに、起業家育成プログラムの学生と先生が議論し合う。観ていて、議論をすることはなんておもしろいんだろうとつくづく思った。
また、様々な人種がカジュアルに英語で議論し合う姿も羨ましい。僕はこんな経験をしたことがなかった。これまで僕が日本で受けてきた授業というのは、高校も大学も、詰め込みの授業だった。スタンフォードでの白熱した議論と比べれば、日本の学校は創造性に欠け、押しつけがましく、強権的で、同質的だったように感じる。そんな環境がとても嫌だった。
たしかに、日本の初等・中等教育は優秀で欧米諸国をはるかにしのいでいると言う人もいる。それは一理あるだろう。ただ、それは”読み書き算盤”の世界ではないだろうか。それらは記憶力に頼るものである。そして、現在の教育・受験システムはいわば記憶力のテストのようなもので、記憶力は悪いがほかの能力に秀でた人たちをスポイルしている傾向がある。
社会で必要とされるのは、記憶力もさることながら、抽象的思考力、リーダーシップ、創造性といった大局的考えをもつことがより重要になってくる。明らかな正解があり、解き方のパターンもある問題を解くことで高い得点を取ってきた人間が、何が問題かもわからない状況で、問題を発見し、解決法を自らの頭で考えださなければならず、しかも何が正解かさえ分からないケースで力を発揮できるのだろうか。今回の原発の対応を見れば想像に難くないだろう。
日本の学校の授業は、多くの場合、正解ありきで、自分で問題をつくるような経験をすることはほとんどない。解き方のパターンを記憶することと、解き方を自ら考え出すことは、まるで別の能力なのだ。そして、そういった能力を養う土壌がスタンフォードにはあると感じた。
もちろん環境のせいにしてはいけない。よりよい場所があれば、そこに向かう。それだけのことだ。スタンフォードの白熱授業を励みに、より良い環境を求めていきたい。