両親の老いと死
最近友人と食事をする際、必ずといってよいほど出る話題がある。それは、両親の老いと死別についてだ。わざわざ話題を振ったわけでも、振られたわけでもないが、自然にその話題になる。
大量の高血圧の薬、増えたシワや白髪、階段を登る姿、歩くスピード、会話の速度、子どもの意見を聞かずに自分の意見ばかり言う姿、結婚や孫の話題を持ち出す姿―。
ここ数年両親の老いゆく姿を見てきた。もしかしたら、両親は自分たちの死について向き合い始めているのかもしれない、と思ってしまうこともある。悲しく切ないとおもうときは数知れない。しかし、それらの現実をしっかり受け止めて、日々の親孝行を継続していかなければと思う。
先日、友人が父を亡くした、とツイッターでつぶやいた。彼は大学生のときに知り合った友人で、自分の弱みや苦しみを他人に出さない人だった。その彼がつぶやいたのは意外だった。彼のつぶやきからは、父の急死に対する苦しさや悔しさが感じてとれた。やはり両親の死というのは特別なことなのだろうと思った。
僕は両親や親戚、友人を失ったことがいまだない。だから、身近な人間を失うというものはどれほどつらいのかいまだ想像できずにいる。それゆえか、両親の老いやその先にある死については不安や心配が絶えない。それはもしかしたら、自分がその現実に耐えられないということなのかもしれない。
しかし、かつて自分が死をおそれたように、もっともたいへんなのは当事者たる両親だろう。だから、どんなことがあろうとも、僕は明るく振る舞い、精一杯世話をしていきたい。過去のつらかった事は全て忘れて。