ことばの暴力性

友人のブログより引用。

ことばを投げかけるというのは、一方でみずからの価値観を投げかけるという行為に等しい。そうであるならば、ことばが暴力性を含んでいるのは当然のことで、それを自在にあやつっている(と、そう思いこんでいる)ひとは、みずからの拠って立つ土台に自信をもっているものだ。むしろみずからが正しいと考えていなければ、そうかんたんにことばを投げかけることはできない。
2005-04-22 暴力を宿したコトバ、それをあやつるヒト

いろいろな経験を通してことばの暴力性を理解するようになったし、自覚的であったものの、この文を読んで改めてはっとさせられたということは、やはりいまだに人を傷つけているという感覚をもっているからだろうか。*1

かつてNGOで活動していた時、あれこれ自分の思想を語ったものだが、今に思えばあれはかなりの暴力性を秘めていたのではないかと推測する。思想を持つことあるいはそれを表現することは美しいが、それを人に投げかけることはなかなかのことだと思う。

*1:しかし、その感覚も頼れるものではない。