子どものため。

実は先週からバイトを掛け持ちするようになった。飲食店以外に、個別塾の講師もしている。

今日は2回目の出勤だったが、社員によると"問題児"の子が担当。

担当していると、注意力散漫で、説明しても目が虚ろだった。「聞いてる?」と声をかけると、はっとして机に向かうの繰り返しだった。そのため、分数をいくら教えても解けなかった。

こういう場合は、先天的か後天的に精神的な障害があるのではと思ってしまいがち。現に僕も、幼少期に虐待を受けたか、育児放棄されたか、僕みたいに突然全く異なる環境に移動させられたのではと思いながら教えていた。結局この子が帰宅した後に社員に聞くと、母親がフィリピン人で日本語があまりしゃべれないのだとか。

なるほど、よくありがちな、母親がフィリピン人で父親が高齢でかつ教育に無関心な肉体労働者層、あるいはもしかしたら既に離婚済みあるいは捨てられた(いわゆるJFC)なのかもしれない、だから勉強ができないんだ、などと勝手に思考を進める自分がいて怖かった。

現状ではいくら説明しても「言葉」の意味や概念が分からず、単なる「音」としか聞こえていないかもしれない。

そして悲しいことに、周りの大人はそのような”現象”が理解できず、単なる”バカ扱い”してしまい、さらには本人も自分の症状が分からないため、結局貼られたラベルを鵜呑みにしてしまい、やる気を失っていくという、悪循環になるわけだ。

なんだか偉そうに言っているが、実は最近、自分もそんな傾向があるような気がしてならないのだ。

残念ながら日本の教育現場においてこのような問題はあまり理解されていない。そんなときこそ、非営利組織がサポートし、かつ代わりに発信していかなければならないと思っている。日本という国では、発信してもマイノリティは相手にされないのに、発信すらしなければ誰もが無関心になってしまい、それすなわち、見殺しなのである。

話しを戻すと、この子が「いつ」来日し、それから「どういう」環境で育ったかがポイントだと思う。

つまり、一般に学習言語を習得するのには6〜8年かかるといわれているが、果たしてその習得に手助けしてくれた人はいただろうか、あるいは相当の努力をしてきたのだろうか、が問題だ。これは個人の運命や家庭の問題ではなく、社会問題なのである。


そんなことを思いつつも、僕は「生産者」として、粛々と勉強を教え、給料を貰うだろう。