コモディティ化からの脱却
仕事上、品質の劣る競合と対峙することが多く、よく悩んでいたところ、早稲田大で「コモディティ化脱却の方策を探る」をテーマにセミナーを開催するということを知り、さっそく申し込んでみた。参加にあたり実は課題として400字の小論文があったため、僕はスタバを事例に挙げた。スタバの事例はいくつもの本に紹介されているが、最近読んだ本で『ストーリーとしての競争戦略』を主として参考にした。
コモディティという言葉は以前からよく使う言葉であったが、さてそこから脱却する方策というのは価格以外にあるのだろうか、というのが率直なところである。今回の3時間にも及ぶトークセッションでは示唆に富む発言があったので、メモをしておこうと思う。
- 価格競争というのは、短期即効性があるため売り手側によっては使いやすい販促方法であるが、この楽な訴求方法を使い続けると、消費者は次第に製品を価格だけで判断するようになってしまう。
- 現代は参入障壁が低くなっており、例えば、ソーシャルメディアによって製品のスペック等従来なら積極的に明らかにされてこなかった情報が丸裸になりやすくなっている。
- 飲料のようなコモディティしやすい製品でも、物的機能(ファンクショナルバリュー)以外にライフワークやモチベーション、さらには精神性(Highest emotional value)といった上位概念まで熟慮して議論を重ねて、ブランドを作っていくことが大事。
- 機能(横軸)が向上すると価値(縦軸)は一定に収束する(オーバーシューティングする)、いわゆるイノベーションのジレンマが起きやすい。
- 最近のCMは未だAI Drivven(認知を求める広告)が多い。同じ言葉を何年も続けて言えるか、合理的な背景があるかを見極めることが大切。
セッションには、コカコーラ社の副社長、部長の方も参加されており、いろはすや綾鷹の開発時の話などを話して頂いた。一つの製品に対してコンセプトやバリューを、議論を通して一つ一つ作り上げていく過程はとても興味深かった。こういった思考は非常に大切であるが、もしかしたら多くの日本人(僕も含めて)は苦手にしているように感じる。
昨今、日本の電機メーカーが立て続けに赤字を出し、リストラをするというニュースが相次いでいるが、これは、日本のメーカーは”もの”をつくるのには超一流だったが、”こと”をつくること、すなわち体験やライフスタイルという一つ上の概念まで思慮できていなかったことが原因ではないだろうか。京都大学の原先生が言うように、「イノベーションとは、社会・経済価値を創造する『技術発明』と『市場洞察』との結びつき」である。
しかし、日本の電機メーカーは、この市場洞察ができていなかったのだと思う。例えば、テレビは昔は決まった時間に決まったコンテンツを決まった場所で、場合によっては決まった人(例えば家族)と視ることが多かった。しかし現在は核家族化や個人主義の浸透によって、またライフスタイルや趣味が増えたことによって、画一的な方法で視ることが減った。若い人からすれば、iphoneでもipadでも視れるし、youtubeにニコ動でも視れるわけだ。そういったライフスタイルの変遷に対応するのが遅かったように思う。
これは、マーケティング力の差に限らない。日本の組織そのもの問題でもあるように思う。日本の多くの組織が縦割りで、全体像を考えられない人が多いからだ。全体像を考えられないというのは、日本人の特徴的な一面でもあるように思う。日本の教育は、お上から言われたことを覚える、従うということを徹底するこに重きを置いており、大人でもそれを常識とする、美徳とする人が多く見受けられる。日本人の口癖に「仕方ない」や「しょうがない」が多いのも、そういった教育を受けているからなのだろう。
ただ、これらはともすればアメリカや中国の企業でも陥ってしまいがちな事でもある。問題は、そこからいち早く学べるかどうか、なのだろう。そのスピードの差が、成功と失敗の分かれ道だったように思う。無論、それができているエクセレントカンパニーは日本にも多くあるのだ。
さて、話を戻すと、コモディティ化からの脱却には上位概念の定義付けとそれに基づいた具体的なサービスの構築が必要なようだ。それには、消費のプロセスをゼロベースで検証することがまず第一だろう。
上記の学びを得られた点で、今回の3時間のトークセッションは非常に有意義だった。週末に程よく頭を使って考えごとをするのも良いものだと分かった。
フットサルで同郷の人に出会う
数珠つながりのような人間関係が、思わぬ感動、恋愛であったり新たな友情をを生むことがある。今日もそんな一コマがあった。
毎月蒲田で開催されるフットサルに行っている。ここのフットサルに行くこと自体も色々な奇遇が重なって行くようになったのだが、ここでは割愛する。今日は2回目だが、やはり初めは緊張した。一旦人と仲良くなればなんでもやれてしまいそうな気がするものだが、会って間もない時は緊張する。愛相のある挨拶もできず、下を向いて口をふさいでやり過ごすのがいつものやり方だ。
ストレッチしていたら、隣に黒の黒縁メガネをかけて若々しい青年がやってきた。彼はにん君と言う。日本に駐在しに来ている中国人だ。こういうさわやかで明るくて少年のような人とならなんか話しかけやすそうと思った。ちなみに付言しておくが、僕は女性の方がめっぽう話しかけやすいと思っている。女性の方が話が合うし、物事を見る視点や感じ方が似ているように感じる。さて話を戻すと、彼とは色々と他愛もない話、例えば、どこに住んでいるかとか、仕事は何をしているかとか、オフィスはどこにあるかととか、そういった類の話をした。
この、一見形式ばったやりとりでお互い波長が合うかが分かる。そして、なかなか合うな、と思った。そんなわけで、フットサルをしている最中も色々と話をした。面白いことに、フットサルが終わって着替えるときも、着替えた後も、そして蒲田駅に向かう道中も一緒だった。
しかし、最近は、以前と比べて”友達を作りたい”と切望することが少なくなった。かつては孤独や寂しさ、劣等感が僕の生活につきまとっていたが、今では彼女もでき、それなりの給料をもらえるようになった。そんなわけで、たとえ一時的に仲良くなってもそのまま流してしまう、というのが最近の常だった。
皆で蒲田駅に向かい、挨拶の後、解散した。他の者は飲み会に向かったが、僕とにん君は用事があるため、駅に向かった。つい数分まで僕らは美味しい四川料理屋の話をしていたので、僕は彼の出身地を聞いた。そしたら、「成都だよ」という。僕は内心驚き、僕も「成都だよ」と応えた。自分の出自を言うことは、日本人はおろか中国人に言うことも思いのほか重い作業だ。他人からすれば理解し難いかもしれない。もしかしたら僕も何故そう感じるか分かっていない。とにかく、僕は勇気を出して言った。
彼は驚いた。僕らは”何区”に住んでいるかを教え合った。彼はそれを聞いて、驚きながらも僕の出身地が成都であることを理解したようだった。「縁だよ、これは縁だよ!」彼は満面の笑みで喜んだ。そして僕らは30分ほどコーヒーを飲むことにした。半日デモの話、不動産の話、美味しい料理の話、日本と中国の良いところ悪いところといった、よくある話題について語った。途中から話す言葉は四川語に切り替わり、話題もだんだん地元に話になっていた。
彼はとても喜んでいたようだった。外国に住んでいると、やはり孤独やフラストレーションを感じることがあるのだろう。たとえ同じ中国人であっても、地域によって考え方が違うこともある。やはり四川には四川の空気というか流れみたいなものがある。そういったことを共有できたことで、とても嬉しくなったのだと思う。そして僕らは、今度東京で四川出身の友人で集まって四川料理を食べようという約束をして別れた。
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日本人と中国人、沿岸部と内陸部、華僑と新しく来日した者。生きたバックグラウンド、抱える人生は異なる。けれど、どんな立場であれ、生きる意味があり役割があり責任がある。僕は彼が喜ぶ姿を見て、とても嬉しくなったし、生きがいをみつけたようだった。争いは大小に関わらずいつの時代も起きている。その中で、自分をみつめ、そして世界をみつめて、自分なりの役割をみつけていこうと思う。たとえそれが世間の流れと違っていたとしても。人それぞれに”ストーリー”があるのだから。
組織運営におけるオペレーションの重要さ
早稲田での経営学の授業も半分が過ぎた。ノンディグリーだがモチベーションは高い。非営利組織での活動や数年のサラリーマン生活で感じた疑問や不満に思っていたこと、あるいは、それに対する答えが、抽象化された形ではあるものの、アイデアとして得られるからだ。
さて、今日はオペレーション戦略だった。担当は遠藤功先生。話がユーモアに富んでおり、スムーズに講義が進んだ。オペレーションは今切実に悩むテーマ。僕の働く会社は、外資系企業でありながら年長者が多く、僕から見て能力が低い人たちばかり。セクショナリズムに陥り、誰も自分から問題解決をしない。問題を発見すらできないのかもしれない。指示がなければ動かないし、なぜかと聞くと指示がなかったからと言う。そんな組織だとは入る前には気づかず、今となってそれに気づいたのだ。
こういった組織、すなわち、年長者が意思決定権を持っており、しかしながら官僚的で保守的、事なかれ主義で、しかも良い給料をもらっている、という組織は日本においては多いと思う。特に、もともと国営企業だった企業や競争のほぼない企業、あるいは役所や郵便局といったところだ。このような組織は、日本経済の発展を妨げる諸悪の根源であり、それを解決しないと日本はまさに没落してしまう。
さて、オペレーションの話に戻るが、結局のところ、いくら戦略やビジョンが素晴らしくても、オペレーションがしっかりできていなければうまくいかないのである。先生によれば、「自主性、自発性、自律性」をもったナレッジワーカーが必要で、現場の人間それぞれが問題解決に対するオーナーシップをもつべきだとと説く。例として、東日本大震災直後のクロネコヤマト(下図、*1参照)やJR東日本大宮総合車両センタを挙げていた。詳細は割愛。
しかし残念だったのは、僕が働いている会社のような状況に陥った場合の具体的な問題解決方法を示してくれなかったことだ。僕の悩みと全く同じ質問をした聴講者に対して、「一緒に飲むことだよ」と真顔で答えていた点がとても残念だった。組織運営はやはり走りながら考えなくてはならない。でもこの不満は、もしかしたら先生の意図した通りかもしれないが、自分でアイデアを考え出し行動することと、将来ビジネススクールに行って学ぶというモチベーションにしたいと思う。
More of China's rich are seeking to leave
It seems that more Chinese rich people join the trend to pursue American permanent residency. The main reason for them to do so are providing a better education environment for their children, looking for further business opportunities, a desire for better medical treatment, and fear of pollution in China.
These reasons are similar to the reason my father decided to move to Japan more than a decade ago. Maybe the situation has not yet changed in some aspect.Yet China has grown to be a second largest economic country, it still has many social problems.
China's growth could be derailed by a raft of problems such as high inflation, bubbly real estate, sharp slowdown in external demand in the future. In addition, China's one-child policy, food safety, corruption, weak legal system are also the social issue which most Chinese concern.
Bank of China did a survey which is conducted in May to September 2011, covered 18 major cities including Beijing, Shanghai, Wuhan, Nanjing, Dalian and Suzhou, and interviewed respondents with an average age of 42 and average personal assets of 60 million yuan. It showed that 46% of respondents were considering emigrating, while an additional 14% had either already emigrated or filed immigration applications.
Now, Chinese people can receive much information through the internet or their own network which give them variety of options in their life. On the contrast, Japanese people are still conservative and I would say still timid though their environment is better than that in China.
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My family is not the exception in this movement. Two weeks ago, I went back to home and discussed with my father over the living cost in Japan. Eventually, we reached conclusion that my parents leave Japan in two years and I also try to leave Japan too.
We calculated the ratio of public insurance and tax in all of my father's revenue. To be surprised, it shared more than 50%. This figure pushed us to leave Japan. I think such ratio may be true of my case. Even if my earning its figure is higher than in case of working in China, taking public insurance and tax into account, the bottom line would be same figure. That's why some young Japanese people would like to work in abroad. They can have a precious and fruitful experience when working in abroad.
References
More Wealthy Chinese Said to Seek Investor Visas - WSJ.com
クリティカルシンキングを学ぶ
今日は出張で長野県の上田市に車で行き、帰りは新幹線で東京に戻り、月2回行われる早稲田のMBAエッセンシャルズの授業に出た。今日は2回目で、クリティカルシンキングがテーマだった。いつも思うが、高田馬場駅から降りてキャンパスまでに向かう途中ですれ違う学生の雰囲気を見ていると、羨ましく思えまた学生に戻りたいなと思う。
授業の内容をメモしておく。
1.ネゴシエーションの盲点
普段の生活においては、対象が不変で有限のものを争奪・交渉している。これを価値分配型交渉と言うが、このようにパイを奪い合う方法は決してうまくいくことがない点を頭に入れておく必要がある。むしろ、対象が可変で相互協力してまずはパイを増やすことに専念する価値創出型交渉が良い場合がある。つまり、10だったものを一旦20にしてから分けあう方法だ。
2.価値の多面性
先入観や常識はクリティカルシンキングの敵。しかし、地頭だけで全ての解が導きだせるとも限らず、したがって、知識や情報の不足もクリティカルシンキングの敵となる場合がある。パターンを読み取る力も必要になる。また、調べる時点で主観が入っていることにも留意する。それから、想像も大事。どういったアルゴリズムが働いているかを考える癖をつける。
3.高コンテクスト型社会
日本は高コンテクスト型社会。上位下達の社会。授業では、同じ高コンテクスト社会の韓国出身であるLG電子やサムスン電子がなぜ市場の動向をうまく捉えて成長できたかが議論になった。
4.Facebookの株価低迷
ユーザーが用いるデバイスがパソコンからモバイルに移行していることが一つのターニングポイントになる、という話になった。
MBAの授業は本当におもしろい。今までの物事の見方を変えてくれる、それがこの授業の醍醐味だ。無論、実務ですぐ使えるといった類ではないし、知識がなければ深い議論ができないが、事象を俯瞰的に構造的に捉える上で有用な気がする。
最後に、隣の席にいた中年の方に「来年MBA受けるんですか?」と聞かれた。いろいろと会話をすると、どうもKBSを卒業されたようで、また刺激を受けたいと思って今回の授業に出たのだという。簡単にアドバイスをしてくれて、やる気が増してきた。
価格が先か、仕様が先か?
毎日夕方5時頃になると、不思議に思う光景がある。
ビル内の別の会社の人たちが大勢帰宅していく姿だ。なぜこんなに早く帰れることができるのだろう?僕の会社では数人が辞め、僕は2〜3人分の仕事をするようになった。帰宅の時間が日に日に遅くなっていくように感じる。
辞めていった人たちは、有名な大学を卒業した人や名だたる自動車メーカーを渡り歩いた人と僕からすれば優秀な人たちばかりだった。そんな彼らが抱えていた仕事を入社1年ほどの僕がどうやって背負っていけばよいか、本当に悩むときがある。
さて、今抱えている大きなプロジェクトで動きがあった。昨日の夕方にユーザーから連絡があり、「明日までに見積書を出せ。2日以内に決める。」と言ってきたのだ。ひそかに金額を聞いたが、大幅なプライスダウンが必要だとわかった。まだ仕様も決まっていないのに、価格の話をしてくる、日本のユーザーはこういった点がいつも困るのだ。僕はさっそくプライスダウンの案をつくり、ドイツにメールをした。時刻はもう9時を過ぎていた。
案の定、「仕様が決まっていないのに大幅なプライスダウンはできない」という返事が返ってきた。一方で、明日までに価格を提示しなくてはならない。ユーザーから細かい仕様の要求がないため、なんとか自分の頭で具体化しなければならない。僕がやりとりしているドイツ人からすれば、やりたいことがあり、そのための手段があり仕様があり、その結果として価格が決まる、という考えなのだろう。
そういう意味で、日本のメーカーというのは、思想や哲学がないと思うときがある。中国のメーカーはコピー商品ばかり作っていると批判する人は多いが、僕からすれば、日本のメーカーもこれまでずっと欧米のキャッチアップでやってきたはずだし、今も変わらないところが多いように思う。
結局、日付が変わるころに携帯から国際電話をかけ、30分の議論の末、落とし所を見出した。
そんなわけで、僕らはいつも、こうした思想的、文化的違いの板挟みになる。しかも、それをいちいちヨーロッパの人間に説明しなければならないし、僕が矢面に立って質問を浴びなければならない。
こういった経験をしていくと、なぜヨーロッパの人たちが多くの自然原理を発見し、産業革命を起こし、世界各地を植民地にしたのかがなんとなく分かってくる。そして、今の日本のこの研究開発の仕組み、マインド、産業構造といったものをどうか少しでも良くしていきたいと思う。
そんな夢を抱きつつ、謙虚な気持ちをもって日々勉強を続けていく所存だ。